大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー
第16回第16回
いじめをどうする
(後編)
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身を寄せることばが失われた時代に、厳しい状況に置かれた者が生き延びる道はあるのだろうか。
あるまちの次世代育成フォーラムで、中・高校生の居場所について話し合ったときのことだ。そろばん塾を自宅で20年続ける女性の報告を聞いた。幅広い年齢の子どもが、多いときには70人も小さな家に集まるという。
酷いいじめにあった中学生の相談にのって最終的に転校させたこともあると、彼女は語った。その話を聞いて、いじめられる子どもに必要とされるのは、そのそろばん塾のような、学校や家庭とは別のところの人間関係だろうと思った。そういうところがあれば、厳しい状況に置かれた子どもも何とか一息つくことができるだろう。毎日やってくる中学生が、実はいじめに苦しんでいたという話を、児童館の職員に聞いたこともある。
メディアを通していじめの事件が盛んに報道される状況のなかで、勇気をもって教師や親に話して欲しいという趣旨の“緊急メッセージ”が発せられているが、そういうものにどれほどの意味があるのかと疑問に思う。
もともと頼る大人がいなくて身の置き所のない子どもが、いじめたり、いじめられたりという過剰な人間関係のなかへ落ち込むのではないのか。それだけではない。そもそも学校の教師は、一人ひとりの児童生徒よりも学級集団を組織することを強いられる制度的な存在だ。教師の役割には限界があるだろう。親はどうか。今どき頼りになりそうな親は少ないだろうし、子どもを虐待するような親に話せるわけがない。
そろばん塾の女性は、何代も続く、とび職の親方の家庭で育ったのだという。家にはいつも人が出入りしており、夕食はいつも大勢で食べたそうだ。その家業は親の代で終わったというが、貧しい時代を支えた文化が、豊かな時代を生き延びるための知恵として、彼女のなかに引き継がれていると思った。
久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。