大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー
第22回第22回
人は、ふれあって生きる
(後編)
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このCMに注目したのは実に巧みに近所づきあいの必要を伝えようとしているからだ。
地域社会の現状は本当に酷い状態になっている。隣人とかかわらない、孤立した快適な暮らしは、もう限界だろう。新聞の見開き2頁を使った、千葉県内の民間デベロッパーの分譲マンションの広告では、保育園や学童保育の充実をうたっていた。子育てグループの意見を聞いた、子育て応援マンションという物件も高松市に登場している。1人でがんばる、が無理と分かって、そういうものをウリにしなければ住宅販売も説得力をもちにくくなっているのだろう。
もう一つ、このCMが注目されるのは、30代の気分を上手くすくい上げているところだ。「面倒くさい」がキーワードだろうか。おそらくこの世代には生活共同体としての地域社会の記憶はないだろう。しかし、子どもを糸口にすれば、記憶されていない「記憶」を呼び起こすことになるかもしれない。地下鉄駅などに置かれた『UR STYLE』(UR都市機構)という雑誌では「人が育つ『住まい』」という特集を組み、「懐かしい昭和の時代」の思い出や、集会所を利用したバレエ教室を主催する女性を紹介している。
地方自治体や住民団体によって“あいさつ運動”が熱心に行われてきたけれども、何か押し付けがましい。このCMの場合は「挨拶をするべきだ」というのではなく、挨拶をしない人たちの都合(面倒くさい!)に着目して、何となくではあるが、挨拶をしないのはヘンだ、挨拶するのもいいかもしれない、と考えさせる仕組みになっている。
このCMが広告として効果があるのかどうかは、わたしには分からないのだけれども、孤立した快適な暮らしなど無理だ、というメッセージが視聴者のところへ届くのかどうかが気になる。
久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。