大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー
第23回第23回
二つの放課後
(前編)
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わたしは講義で乳幼児から高齢者にいたるまで生涯学習の活動や施設を紹介している。学生たちがとくに関心をもつのは、世代が近いせいだろうか、中・高校生のための新しいタイプの施設だ。
杉並区立児童青少年センター(ゆう杉並)を先駆けとして、数多くの施設が誕生している。そういうところでは、ロビータイプの空間に集い、スタジオでバンドの練習をしたり、体育館でスポーツを楽しんだりすることができる。中・高校生が施設運営にかかわる仕組みも工夫されており、学校教育モデルとは異なるこのようなところで10代はいろいろなことを学んでいるわけだ。
これは学生たちにとても評判が良い。「近くにあれば利用したかったのに残念だ」という声が多い。「大学生は利用できないのだろうか」という質問には「大学のキャンパスがあります」と答える。キャンパスの姿に不満の声が上がるのは承知の上だ。
こんな講義のなかで、わたしが注目したのは、「小学校から私学なので地元の児童館へは行かなかった」という女子大の学生たちの感想だ。また、中高一貫校へ通った学生の場合、地方自治体が主催する成人式へも出席しないで、当日は母校へ集まるという。なるほど知り合いがいなければ地元の成人式へ行く理由もないわけだ。
わたしの講義を聴いてあらためて「地域社会と関係がなかったことに気づいた」と語る中高一貫校出身の男子学生もいた。遠方の私学に在籍して学習塾やスポーツクラブや習い事へ通うような者たちには、行政の放課後対策で想定される「子どもの放課後」は存在しないことになる。彼らは、もう一つの子どもの放課後を生きているわけだ。
子どもの放課後を一括りにして語ることはできなくなっている。二つのタイプの子どもの放課後が並存しているのである。このことを実感したのは、例によって学生が教えてくれたからだ。
久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。