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風の声

大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー

第33回

第33回
生涯学習を学ぶことの効用
(前編)

久田 邦明
※組織名称、施策、役職名などは原稿作成時のものです
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大学で生涯学習についての講義を担当しているが、学生は生涯学習のことを知らない。最初の講義で「生涯学習と聞いて何を思い浮かべるか」を学生に尋ねると、テレビCMの“生涯学習のユー○○○”で知られる通信教育事業者の名前が挙がる。高齢者対象の大学や主婦向けのカルチャーセンターがこれに続くといった具合だ。

しょうがないなあと思うけれども、独人で気負ったところでどうしようもない。これが社会一般の生涯学習の理解でもあるからだ。そういう現実を学生に教わっていると考えて、深呼吸をして、「生涯学習はもっと範囲が広く、奥が深いものです」と、意味あり気に語る。

この20年を振り返ると、1980年代半ばに臨時教育審議会が提言した「生涯学習体系への移行」は、明治以降の学校教育中心の教育制度を改革する方向性を提起するものとされた。これを受けて文部省(現:文科省)の筆頭局は初等中等教育局から生涯学習局(現:生涯学習政策局)へと代わった。“生涯学習振興整備法”も制定された。全国の教育委員会では社会教育部局の名称を「生涯学習」へ変えた。また、学校教育をみても、週五日制が始まり、単位制高校などの新タイプの学校が開校した。大学には生涯学習の講義が登場した。

このような経過をたどって、生涯学習は近代学校の次の時代の教育を展望するためのキーワードとなったかにみえたものだ。

そのころ、わたしも一瞬、生涯学習は、1960年代後半に波多野完治が願った「教育改革の理念」となったのかと思った。しかし、考えが甘かった。その後の経過をたどれば、バブル経済の崩壊をきっかけに「生涯学習体系への移行」は尻すぼみになった。まず自治体で生涯学習施設が建設されなくなり、事業予算も毎年大幅に減額された。しばらくすると、学校教育の領域でも、ゆとり教育が見直されて学力重視がいわれるようになった。

こうしたなかで生涯学習ということばは時代に取り残されて、生きがいの発見や余暇の有効活用の方へと押し戻されてしまった。 

このように考えると、学生たちの理解は見当違いでもない。

久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。

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