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風の声

大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー

第34回

第34回
生涯学習を学ぶことの効用
(後編)

久田 邦明
※組織名称、施策、役職名などは原稿作成時のものです
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生涯学習の講義では、まず第一に、90年代の生涯学習施設の先駆的な事例を紹介する。そういう先駆的なところでは、オープンスペースの施設構成、多様な学習方法の工夫、社会貢献の人材育成などにみられるように、学校教育モデルとは異なる生涯教育の可能性を果敢に追求してきたことが注目される。

しかし、これらの施設は時代の変化に遅れをとっている。そもそも、財政破綻によって大型施設の維持や新設は困難になっている。また、NPO法人など市民団体の活躍で、これまでの行政依存の運営体勢が問い直されるようになった。そういう見直しによって行政施設の指定管理者となった市民団体が、地域の人や団体を結びつけて多彩な活動を進めるようにもなっている。

そこで、わたしは第二に、行政の大型施設から市民団体が運営するネットワーク型施設への転換について紹介する。ただ、このような説明には無理がある。新しいタイプの施設を支えるのは市民活動であり、生涯学習とは呼ばれないからだ。今、生涯学習ということばで括られるのは、先に述べたように生きがいの発見や余暇の有効活用といった、社会性の弱い活動になっている。ちょっと情けない気持ちになる。しかしわたしは、生涯学習に新しい理解を加えればよいと考えて、ネットワーク型施設の市民活動を生涯学習の系譜の上に置いて紹介するわけだ。

1年間あるいは半年間の講義は、学生にとって、学校教育モデルの教育観を問い直すことになるようだ。そればかりか、多彩な市民活動の存在を知ると、それぞれに視野が広がるらしい。なかには遠方の施設をわざわざ訪ねる学生もいる。

生涯学習を学ぶことには、このような効用があるのだろう。わたしはといえば、学校教育モデルの大人数の講義で生涯学習を語るという、まるで道化のような役割を演じているということを、ときどき思い出す。

久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。

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