大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー
第49回第49回
地域で子どもを育てるスポーツ少年団
(前編)
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地域社会では盛んに子どものスポーツ活動がおこなわれている。野球やサッカーやバレーボールやバスケットボールなどの子どもたちのチームを思い浮かべてもらえばよい。それらを総称してスポーツ少年団と呼び、社団法人日本体育協会に全国組織の事務局が置かれている。
これを指導する大人は、地域で子どもを育てる役割を担う貴重な存在である。多忙な仕事の傍ら、地域の子どもたちの面倒を見る姿に接すると、頭が下がる。
部外者の目には子どもたちが屈託なく元気に動き回っているようにみえるけれども、彼らの話を聞くと、地域で子どもを育てるという大切な役割を担っていることが分かる。
「最近の子どもたちは試合に負けても悔しがらない」と、少年野球の監督は語る。喜怒哀楽の表現が不得意になっているらしい。そうはいっても「喜んだり悔しがったりする子どものほうが上達する」ということばに少しほっとする。
こういう深刻な話もある。試合に出かけるには交通費などのおカネが要る。貧しい家庭の子どもの分を指導者が負担することもあるが、そういう子どもは続けられなくて、そのうち辞めてしまう。やりきれない気持ちになるという。
子どもが中学校へ進学してチームを離れてからも、親身になって問題を抱えた子どもの面倒を見る人もいる。わたしが講義で接する大学生に、監督との付き合いが続いて「一緒に酒を飲むようになった」という、微笑ましい話を聞くことも多い。そのなかにはいずれ地元へ帰って指導者になりたいと語る者がいる。
ただ、学校教師のあいだでは、この人たちはあまり良く思われていないらしい。学校で子どもたちがつるんで勝手なふるまいをすることがあるからだ。しかし、教師と指導者のあいだで話し合えば何とかなるようだし、それをきっかけに生活指導の面で教師の方が恩恵を受ける場合も少なくないのである。
久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。