大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー
第50回第50回
地域で子どもを育てるスポーツ少年団
(後編)
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スポーツ少年団の指導者の多くは、競技スポーツの経験者である。そのせいで、つい勝敗を第一に考えるクセがある。タテマエとしてはスポーツの楽しさを子どもに経験させるということになっているけれども、現実には、やはり勝ち負けに目が向く。
このことを、指導者だけのせいにはできないだろう。子どもだって勝敗にこだわるし、保護者もまた例外ではない。そもそも日本のスポーツは、西欧のように生活のなかから生まれたものではない。それに加えて、明治期の国威発揚を意図したスポーツ振興策の歴史を引きずっている。
しかし、最近になって様子が変わってきた。その変化を象徴するのが、総合型地域スポーツクラブの誕生だろう。
総合型地域スポーツクラブとは、これまで種目別に活動していたスポーツ団体が地域ごとに1つの団体にまとまって、クラブハウスを拠点として活動をすすめようとするものだ。サッカーくじのtotoを始めるに当たって、その正当化のために、いかにも唐突な感じで提案されたという経過もあって、かなり無理があるらしく、組織化の政策目標の数値にはとうてい届かないようだ。
しかし、そうはいっても、体育学の研究者が指摘するように、この事業が始まったことによって、これまでの“体育会系”のタイプにかぎられない、広い範囲にわたる住民たちが地域スポーツの組織化に加わるようになったことが注目される。
大日本体育協会(1911年)に始まる、国際競技スポーツ大会への参加を目的とした、国威発揚のためのスポーツ政策の歴史は長い。それが転換したのは20年ほど前であり、それほど古いことではない。1988年、当時の文部省体育局スポーツ課が競技スポーツ課と生涯スポーツ課へと分かれ、89年、日本体育協会の中の1つの委員会が財団法人日本オリンピック協会として独立した。これによって競技スポーツと生涯スポーツの二本立てとなったのである。
このような動向のなかで、総合型地域スポーツクラブの組織化に大きな役割をもつと期待されるのが、スポーツ少年団という“子どもの力”である。
近所のグランドやコートで子どもたちが元気に動き回る姿に、スポーツを通した地域づくりの可能性を期待して、ひそかに声援を送りたいと思う。
久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。