大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー
第59回第59回
大学生はコンビニで高齢者と出会う
(前編)
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老人大学の話をするうちに生涯学習という講義の枠を踏み外しそうになった。それはこんな事例を紹介したときのことだ。
あるまちの職員に教えてもらった平均年齢81歳の「お茶のみクラブ」は、地元の福祉施設で月2回の集まりを続け、手書きの『お茶のみだより』を毎月発行している。また、世田谷区老人大学(現在の世田谷区生涯大学)の30周年記念誌には、個人宅を開放する「雀のお宿」というOBの活動が報告されている。
どちらも特別な学習プログラムが用意されているわけではない。それにもかかわらず参加者にとって大きな意味をもっていることが想像される。『お茶のみだより』には会員の近況や月2回の活動日の様子が紹介されているし、雀のお宿の報告文には週1回の集まりのために体調を整え、天候に合わせた服装を用意した90代の男性の生前の姿が紹介されているのである。
高齢者に必要とされるは、このような気楽に集まって話すところなのだろう。もし一人暮らしで誰も話し相手がいなければ寿命を縮めることになる。
ときおりコンビニで店員に語りかける高齢者の姿をみかける。天気が良いとか、花屋さんで花を買ったとかいう、他愛もない話のようだ。若い店員の忙しそうな姿をみると、ここはそういう話をする店ではないだろうと、つい余計なことを思うが、その日常には無くてはならないひとときなのだ。
こんなことを考え合わせると、お茶のみクラブや雀のお宿のような活動を見逃すわけにはいかない。これを生涯学習とみれば、組織的な学習プログラムと比べても知恵と工夫が要る。とりわけ世話役には人間理解にかかわる見識と当意即妙の対応能力が求められるのである。
そうはいっても大学の講義には収まりにくい話だ。今日の講義のテーマは何なのかという不満を聞くこともある。しかし、こういう日常生活のなかの生涯学習に言及しないわけにはいかないのである。
久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。