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風の声

大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー

第71回

第71回
ホワイトキャンバスの10年
(前編)

久田 邦明
※組織名称、施策、役職名などは原稿作成時のものです
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大学生に「あなたの居場所はどこでしたか?」と尋ねると、高校の部室(部活動のための部屋)という答が少なくない。同じ学校のなかでも教室とはちがう楽しい空間だったらしい。他愛のない話に興じる姿が目に浮かぶような気がする。

この年頃の若者には親や教師の目が届きにくいところがなければならない。そういうところは、若者が大人になるための仕組みであり、いつの時代にも身近に用意されていた。伝統社会の若者宿や娘宿を挙げることもできるし、学生運動のサークルや労働組合の青年部、あるいは不良仲間なども、このような関心からみれば同じような意味をもっていたといえるだろう。

それが、高度経済成長期が終わるころから、社会全体の変化によって急速に失われていった。それどころか、コンビニや公園にたむろするだけでも、悪だくみを疑われて学校や警察へ通報される。住民のこのような過剰な反応も、若者たちから居場所を奪うことになったわけだ。

そうはいっても、大人が無関心だったわけではない。地域で子どもや若者の面倒をみる大人たちには見逃せない問題だった。じっさい、1990年代後半から、中・高校生世代のための居場所づくりの活動が全国各地にひろがるようになる。

1999年7月、岩手県水沢市(現在の奥州市水沢区)に誕生した、子どもの居場所ホワイトキャンバスは、その先駆的な事例である。ここは、2階建ての旧消防署の1階部分の約270平方メートルを、中・高校生と行政職員、住民が協力して改装した、手づくりの施設である。市の財政的負担はほとんどなく、東京の財団の助成金400万円余りを利用した。

わたしは当時、このような施設づくりの方法を知って本当に驚いた。住民施設をつくるには行政が予算を組み、敷地を確保して建築費や人件費を用意しなければならないと考えていたからである。ところが、財政的負担もなく、若者と行政、住民がつくってしまった。おカネがなけれけば何もできないという言い訳は、もう通用しなくなったわけだ。その意味で、高度経済成長期のあとの時代に生きるわたしたちに希望を与えてくれるものだったのである。

久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。

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